(第235話)マイケルを偲ぶ…🤔

自分と同じ「戌年の8月29日」に生まれた(=「自分と同じ星の下に生まれた」と私が勝手に思っている)有名人は世界に1人だけ。

そう…

自分よりもひと回り早く、1958年の8月29日に生を享け、
50歳と10カ月足らずでこの世を去った「マイケル・ジャクソン」。

身長は彼のほうが数センチ高いが、体重は私のほうが20キロ重い…🤣

言わずと知れた「人類史上最も成功したエンターテイナー」である。

実は私自身、彼と一度だけ、僅か数メートルの距離で会ったことがある😵

忘れもしない
1987年9月の後楽園球場…

自分が17歳になって間もない頃。

私の叔母が、あるルートを使って招待してくれたマイケルの初来日ツアー、
「Bad World Tour東京公演」のアリーナ席がビックリするほど前方の座席だった。

まさに、この↑右肘あたりの席…🙄

斜め左前の席にいたのは、タモリ…😵
(当時はあまりその有り難みが分からなかったが、今思うとあの晩、自分はとんでもないところにいた。。)

あの時のマイケルは29歳。

1958年8月29日、アメリカ合衆国インディアナ州ゲーリー(シカゴの南東50キロくらいの町)に住んでいたアフリカ系アメリカ人家族:ジャクソンファミリーの六男としてマイケルは誕生。

父ジョセフはクレーン操縦士、母キャサリンはデパートのパートタイム従業員として家計を支えていた。

父は自身の実弟が始めたバンドの一員として音楽活動もしていて、音楽家として成功する夢を抱いていたそうだ…。

音楽好きな両親の影響で、マイケルは他の兄弟とともに音楽に接する機会の多い環境で育つ…🎶

そして1963年、母が父に「この子、歌えるのよ」と助言したことがきっかけとなり、マイケルは兄弟のグループに加入。

デビュー当時の彼の年齢は「5歳」だ…🙄

「6歳」で、運動会のゴールテープを必死になって先頭で切っている自分↓😑

🙄…振り返ってみれば、「人生の一合目」の時点で、世界が、ステージが、既に違っている。

そして、その後、44、5年が経過し、
自分は「人類史上最も成功した●●●」になることもなく、あと1日半足らずで彼の享年「50歳」になってしまう…😞

「人類史上どこにでもいる50歳」確定…😞

歌人であり精神科医でもあった斎藤茂吉の長男で、10数年に90歳でこの世を去った精神科医・随筆家の斎藤茂太先生は、

「できることが増えるより、楽しめることが増えるのが、いい人生。」

との言葉を晩年に残している…🙄

自分は、マイケルがその人生を終えた50歳になっても、彼が残した功績の何万分の一のことも未だ成し遂げていないが、日々「できること」も「楽しめること」も確実に増えてきている。

「美味しい唐揚げ」を上手に揚げることもできるようになったし、「異国の地での一人暮らし」も上手にちゃんと楽しめている…🤗

在宅勤務の昼休み、ふとマイケル・ジャクソンを思い出しながら昼飯を食う…😋

我ながら、何とも「変なおっさん」だ。。🤣