パチンコ、競馬、麻雀
一人暮らしの京都での大学時代
どれだけやっただろう。。🙄
スキー部の練習は
週に3日か4日は参加必須!
特に土曜日の京都御所での練習は絶対参加!!
↑🙄大学3年生の時の自分だ〜!
右にいるのは、後輩の岡山、
そして、高校時代はバスケのインターハイ選手だった同級生の松本、滋賀県のガソリンスタンドの息子、桂、、同級生の中では、たった3人の女子のうちの2人、田代と上野。。
懐かし過ぎる…
厳しいクラブだったけど
とっても優秀な人が沢山いた。
クラブのムードメーカー「ジョー」こと樋口も、いまや、立派な会計士先生。。
今出川通、懐かしい。。
この門、何度、大声で掛け声をかけながら、走り抜けただろう…
土曜日の練習が終わると、薄汚れたパンダの置物がある喫茶店を横目に見ながら、隣りにあった雀荘へ先輩と一緒に行く。
そして、麻雀をしながら出前を取る…
天津飯、美味かったなぁ。。
帰りには、雀荘のおばちゃんが、当時1本30円くらいで買えた「うまい棒」ならぬ「うまか棒」というアイスクリームをくれた…🤗
そうそう🙄、コレ↑の「ちっちゃい版」だ。。
麻雀が終わると、その後は、バイクで家に帰り、同級生の友達が家に来るのを待つ…
メンバーは
横山、桂、、、あと、秦くん?だったかなぁ
1人だけ、二つ下の後輩もよく来ていた。。
そして、徹夜で麻雀を続け、夜中に千本丸太町の吉牛の牛丼弁当を食べ、日曜日の朝になると、10時にパチンコ屋さんの店先に並んで「モーニング(←通じないだろうなぁ)」だけ取って、軍資金を1万円弱稼いでから、横山をバイクの後ろに乗せて、淀の京都競馬場へ向かう。🏍
だいたい賭けるのは、9レース以降。
9、10、11(メイン)
の3レースだけ勝負する。
パチンコの儲けが全部なくなることは、しょっちゅうあったけど、決して12レースは賭けない…
負けている時の12レースで勝った試しなどないから🤣
↑は大学3年生の時の菊花賞の京都競馬場だ。。
最後の最後まで競馬場に残って、5人で撮った記念写真…。
まさに
こんな気持ちが呼び起こされる。。。
↓↓↓
あれから、29年…
先週、久しぶりの菊花賞で、少しだけ儲かったから、
「87.4倍」…万馬券ではないが、まずまずの配当
あの頃を懐かしんで、今日は「秋の天皇賞」に賭けてみた。。
大学時代のローテーションは、
菊花賞→天皇賞→有馬記念🏇
有馬記念は、中山の馬主席で見たこともあった…
ナリタブライアンの時だったのかなぁ。。
楽しかった…
でも、よくよく考えてみたら、
自分がやってきたことって、自分の父親がやっていたこと。🤔
今日のブログのテーマ
「教師と反面教師」
親父はヘビースモーカーで
小さい頃、自分はよくこのタバコ🚬を買いに行かされていた。
↓↓↓↓↓
(正確には、当時はこんな↑warning文言はなかった)
2個セットで売られていたショートホープ🚬
自分自身、10歳になるまで小児喘息を患っていたから、煙が苦手で、ヘビースモーカーの親父を真似したいと思ったことは一度もなく、タバコは一切吸わない人生を歩んできた。。🚶♂️
競馬は、幼稚園生の頃に、よく後楽園の場外馬券売り場に連れていかれていた。
だから、小さな頃から、オッズの見方も何となく分かっていたし、馬のことも良く知っていた。
そして、中学校の同級生のお父さんが当時三冠馬になっていた「ミスターシービー」の牧場主さんだったことや、会社に入ってから最初に、今の仕事の「いろは」を教えてくれた「先生」が、ナリタブライアンの厩舎の関係者だったこと等々、今、振り返ると、「馬」とは、何かの縁があったのかもしれない。。🤔
パチンコや麻雀は、今となっては、全くやる機会がなくなってしまったから、全然やらないけど、2ヶ月後、正月に実家に帰ったら、人生で初めて、親父と麻雀をしてみようと思っている…😃
(↑リーチ1発ツモ、平和断么三色ドラドラ!素晴らしい上がり手だ〜😁)
86歳の親父に50歳の息子が負けることはあるのだろうか…。。
21歳の自分の息子に負ける可能性はゼロだが🤣、「百戦錬磨の年寄り」を甘くみてはイケナイ気がする。。。
(╹◡╹)