(第255話)教師と反面教師…🏇

パチンコ、競馬、麻雀

一人暮らしの京都での大学時代
どれだけやっただろう。。🙄

スキー部の練習は
週に3日か4日は参加必須!

特に土曜日の京都御所での練習は絶対参加!!

↑🙄大学3年生の時の自分だ〜!

右にいるのは、後輩の岡山、
そして、高校時代はバスケのインターハイ選手だった同級生の松本、滋賀県のガソリンスタンドの息子、桂、、同級生の中では、たった3人の女子のうちの2人、田代と上野。。

懐かし過ぎる…

厳しいクラブだったけど
とっても優秀な人が沢山いた。

クラブのムードメーカー「ジョー」こと樋口も、いまや、立派な会計士先生。。

今出川通、懐かしい。。

この門、何度、大声で掛け声をかけながら、走り抜けただろう…

土曜日の練習が終わると、薄汚れたパンダの置物がある喫茶店を横目に見ながら、隣りにあった雀荘へ先輩と一緒に行く。

そして、麻雀をしながら出前を取る…

天津飯、美味かったなぁ。。

帰りには、雀荘のおばちゃんが、当時1本30円くらいで買えた「うまい棒」ならぬ「うまか棒」というアイスクリームをくれた…🤗

そうそう🙄、コレ↑の「ちっちゃい版」だ。。

麻雀が終わると、その後は、バイクで家に帰り、同級生の友達が家に来るのを待つ…

メンバーは
横山、桂、、、あと、秦くん?だったかなぁ

1人だけ、二つ下の後輩もよく来ていた。。

そして、徹夜で麻雀を続け、夜中に千本丸太町の吉牛の牛丼弁当を食べ、日曜日の朝になると、10時にパチンコ屋さんの店先に並んで「モーニング(←通じないだろうなぁ)」だけ取って、軍資金を1万円弱稼いでから、横山をバイクの後ろに乗せて、淀の京都競馬場へ向かう。🏍

だいたい賭けるのは、9レース以降。

9、10、11(メイン)
の3レースだけ勝負する。

パチンコの儲けが全部なくなることは、しょっちゅうあったけど、決して12レースは賭けない…

負けている時の12レースで勝った試しなどないから🤣

↑は大学3年生の時の菊花賞の京都競馬場だ。。

最後の最後まで競馬場に残って、5人で撮った記念写真…。

まさに
こんな気持ちが呼び起こされる。。。

↓↓↓

あれから、29年…

先週、久しぶりの菊花賞で、少しだけ儲かったから、


「87.4倍」…万馬券ではないが、まずまずの配当

あの頃を懐かしんで、今日は「秋の天皇賞」に賭けてみた。。

大学時代のローテーションは、
菊花賞→天皇賞→有馬記念🏇

有馬記念は、中山の馬主席で見たこともあった…

ナリタブライアンの時だったのかなぁ。。

楽しかった…

でも、よくよく考えてみたら、
自分がやってきたことって、自分の父親がやっていたこと。🤔

今日のブログのテーマ
「教師と反面教師」

親父はヘビースモーカーで
小さい頃、自分はよくこのタバコ🚬を買いに行かされていた。

↓↓↓↓↓


(正確には、当時はこんな↑warning文言はなかった)

2個セットで売られていたショートホープ🚬

自分自身、10歳になるまで小児喘息を患っていたから、煙が苦手で、ヘビースモーカーの親父を真似したいと思ったことは一度もなく、タバコは一切吸わない人生を歩んできた。。🚶‍♂️

競馬は、幼稚園生の頃に、よく後楽園の場外馬券売り場に連れていかれていた。

だから、小さな頃から、オッズの見方も何となく分かっていたし、馬のことも良く知っていた。

そして、中学校の同級生のお父さんが当時三冠馬になっていた「ミスターシービー」の牧場主さんだったことや、会社に入ってから最初に、今の仕事の「いろは」を教えてくれた「先生」が、ナリタブライアンの厩舎の関係者だったこと等々、今、振り返ると、「馬」とは、何かの縁があったのかもしれない。。🤔

パチンコや麻雀は、今となっては、全くやる機会がなくなってしまったから、全然やらないけど、2ヶ月後、正月に実家に帰ったら、人生で初めて、親父と麻雀をしてみようと思っている…😃


(↑リーチ1発ツモ、平和断么三色ドラドラ!素晴らしい上がり手だ〜😁)

86歳の親父に50歳の息子が負けることはあるのだろうか…。。

21歳の自分の息子に負ける可能性はゼロだが🤣、「百戦錬磨の年寄り」を甘くみてはイケナイ気がする。。。

(╹◡╹)