(第278話)自分が入るお墓…👼

吉祥寺の実家の隣人の庭に夏みかんが見事に実っている…👀

🙄 すっぱいのかなぁ、甘いのかなぁ…?

さてと、
今日はやらねばならないことがある。

先月、お墓が建った。
何年か後に自分自身が入るお墓だ。。

順番はよく分からない

というか
“God knows”以上でも以下でもないが、

両親が入り、自分が入る。

姉貴は結婚して家を出て行っているから、同じお墓には入らない。。

間もなく87歳になる親父を車の助手席に乗せて、出来立ての墓を見に行く…👀

暫しのドライブ🚙である。

今回、親父を助手席に乗せて運転をするために、わざわざルクセンブルクにいる間に、スマホに何十曲も「昭和歌謡」を事前にダウンロードしてきているあたりが、いかにも自分らしい…🤣

あっという間に着いた。

🙄 まだ誰も中には入っていないお墓だから、決して「お墓参り」ではない。

お花やお線香、お供え物は不要…。

墓の横に立っている親父に手を合わせて拝んでもしょうがない!🤣

墓石の前には6体のお地蔵様が立っている。
いつの時代のものなのかはよく分からない。

でも、何だかお墓を優しくみんなで見守ってくれているみたいで嬉しい…🤗

自分が埋葬されてしまったら、自分の姿をお墓の前で見ることなど決して出来ないから、記念に写真を撮っておこう。

アゴにかかっているマスクが、2020年を象徴している…🙄

もう、親父の2人のお兄さんは何十年も前に亡くなっているから、本家には自分の従兄弟夫婦しか住んでいない。

久しぶりに従兄弟のお兄ちゃんと会って、暫し茶飲み話をする。

血の繋がりって面白いなぁ…って、つくづく思えるくらい、その発想や感性に近いものを感じる。

あ🙄、庭にレモン🍋がなっている。
国産の無農薬レモン…🤗

いくつか貰って帰ろう。。

夏みかんで始まり、レモンで終わる1日🤣

人生の酸いも甘いも、
少し複雑な気持ちを胸に覚えながら、、
自分が生きてきた道、生きていく道に想いを馳せる…。

墓碑名って、格式は高くても、事実だけを伝えたそっけないものが大半だが、以下は、69歳で亡くなった「とある外国人男性」のお墓に刻まれている素敵な碑文。

決して故人を偲ぶためのものではなく、生きている人の心に訴えかけてくるもの…。

「止まれ通行者よ
死の領域に思いをめぐらし
その教えの意味がわかるまで
今日を生きることを学べ
人生はむなしい
翌日の夜明けに
カーテンの僅かな隙間から
永遠と汝自身を見ることはできない」

その通りだね…(╹◡╹)