(第564話)NYの街中で悩むおっさん

かの英国の劇作家・詩人
シェークスピア(1564~1616)は
こんな言葉を残している。

「人は心が愉快であれば
 終日歩んでも嫌になることはないが、
 心に憂いがあれば
 わずか一里でも嫌になる。
 人生の行路もこれと同様で、
 人は常に明るく愉快な心をもって
 人生の行路を歩まねばならぬ。」



おっさんの身近にいる人は
既に気付いているが、

おっさんは最近
認知症と感情失禁的なモノに
悩み始めている…😞



本来なら
コレはおっさんよりも
かなり歳上の

まさに自分の両親たちが
自覚なく襲われてしまっている
症状なのだろうが、



おっさんの場合は、

その初期状態なのか?
はたまた、違う種類の病なのか?
自覚が遅れて襲ってくる…😑



このブログの中で
「ポンコツ化」
という言葉を再三再四使っているが、

人間は寿命のある生き物。



一度は完成したジグソーパズルの
ピースが、パラパラと様々な場所から
抜け落ちていくように、

自分という人間のパーソナリティや
待ち合わせていたはずの能力が
加速度をつけて欠落していっている…。



何のために生きるのか?

釈迦の遺言
「自灯明、法灯明」

即ち、
「煩悩を消して涅槃を目指す」
ことが、釈迦が示した
「生きる意味」なのだが、

おっさんにはまだ分からない。

人間の永遠の課題である…。